娘たちの変化

娘が宿題をやらないので怒ってしまいます。

 

なぜ宿題をやらないのかたずねたら

「宿題を忘れても

  その時恥ずかしい思いをするだけ。

  それだけのことじゃん♪」

と朗らかに返ってきました。

 

宿題は

やらなければならないことだと

わかっている上での考えだといいます。

 

怒って宿題をやらせようとする私より

感情を使わずに

自分の考えを相手に伝えられる娘のほうが

大人だなぁと思いました。

 

親の過干渉は子供にとって良いことはないので

流れにまかせてみようと思います。

 

2人娘なので、下には次女がいます。

 

今年入園し

そろそろ4ヶ月たちますが

園服をまだ一度も着たことがありません。

 

乾くのを待って着るほど

お気に入りの服が2、3枚あり

それを着回しています。

 

「この服じゃなくちゃ幼稚園行かない!」

と言います。


頻繁に着るので、ズボンは穴があいてますし

シャツには落ちないシミがついています。


母としては 汚れ=洗濯してない

と思われたくない


かといって

わざわざ一人ひとりに

「この汚れは洗濯しても落ちないんですよ」

と説明するわけにもいきません。

 

園服は先生が言っても断固拒否。


「いつか着れる日が来るでしょう」

と言っていただけたので救われています。

 

長女も幼稚園のとき

「ドレス(コスプレ衣装)で登園する」

と毎朝大泣きしました。

 

折れない娘に困り果てて園に相談すると

「本人がどうしても着たいなら」

とOKが出て

コスプレして登園させてもらったことがあります。 


本人は大満足、

周りの子も娘の格好は特に気にならなかったようで

園としてはとくに問題はないと言っていただき

救われた思い出です。

 

いくら園の先生がOKしてくださっても

私が

周りのお母さんの目を気にしていたら

ハロウィンでもないのに

コスプレ衣装で登園 という選択は

できなかったと思います。

 

その後

宿題をやらずに

朗らかに登校する長女

 

園服を着ず

お気に入りの私服で登園する次女

 

1ヶ月ほど経って

長女は宿題をやるようになり

次女は園服を着るようになりました。

 

おぉ、宿題やるようになった

園服も着るようになったし

はーよかった

と、それで終わりにしていたのですが

 

このように、子どもに変化があった時は

「どうして宿題やろうと思ったの?」

と聞いてみるといいそうなのです。

 

「今まで宿題やらなかったのに、

 自分からやるようになったよね?」と。

 

わたしが育児相談をしている優子先生に

娘が宿題をやるようになったことをお話ししたとき

教えていただいたことです。

 

子どもとの関わりってこうやって持っていくんだ、

と腑に落ちた感じがしました。

 

そして早速、長女にきいてみました。

「どうして宿題やるようになったの?」

 

学校で宿題を返されるときに自分だけ返されなくて

それを見ていた男の子から

「宿題やってないんだ?ははは〜」

と笑われたことが恥ずかしかった

と話してくれました。

  

「どうして幼稚園の服着るようになったの?」

次女からは

「みんな着てるの。決まりなんだよ」

と返ってきました。

 

学校や幼稚園での体験を通して

それぞれに自分で決めたようです。

 

「自分から宿題やるようになって

   自分から幼稚園の服を着るようになって

   お母さんうれしいな」

 と娘たちに声をかけました。

 

私は優子先生から教えていただいたことを

そのまま娘に質問しただけなのですが

この質問をしなかったら知ることのできなかった

娘の気持ちを知ることができて

うれしくなりました。

 

 

わたしのお父さん

わたしのお父さんは

小児麻痺という障害を持ちながら

家族を支え

74歳まで働き続けた

タクシードライバーです。

 

昭和20年

終戦の2ヶ月前に生まれ

 

当時大流行したポリオに感染し

小児麻痺という重い後遺症が残りました。

 

わずか3歳で手足に障害を持ったのです。

麻痺した手足は

望まない手術を10回以上受けました。

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(実際の父の写真です)

  

靴には穴があきました。

 

それでも

2キロ先の小学校まで

片道1時間かけて毎日歩きました。

 

体育の授業は

一度も休んだことはありません。

 

みんなのように走ることができず

悔しい思いもたくさんしたと思います。

 

わたしが生まれると

二種免許を取得し

タクシーの運転手になりました。

 

受かるまで何度も何度も受け続けたといいます。

 

そして昨年

胃がんの発覚をきっかけに

リタイヤしました。

 

父より勤続年数の長い人は

他にいなかったそうです。

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かけっこは

ただ走れることを喜んでくれました。

 

「わたしが走っている」

 

ただそれだけで

父は涙を流して見ていたのです。

 

競うことが苦手なわたしは

そんな父が一層大好きでした。

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わたしもこんな風に

思い出すだけで

心があったかくなるような思い出を

娘に残してあげたいです。

はじめての投稿

読んでくださる方へ


私は身体障がい者の両親の元に生まれ
貧乏ながらも丈夫に育ち
現在2児の母になれた普通の主婦です。

 

父親はポリオの後遺症による小児麻痺、

母親は先天性股関節脱臼が発見されないまま成長し

現在も歩くことがやっとです。

 


両親は今でも夫婦喧嘩をしますが
それでも私は父と母が大好きです。

学もなく

健常の方のようにできないことが多い中で

私と弟を必死に育て、

健気に生きていることを私は知っているからです。