無意識で犠牲になっている?

先日、優子先生の公式LINEから

10名限定のセッションがある

とのお知らせが届いて

「わぁ、受けたいな」

という気持ちと同時に

「私が申し込まなければ

 他の誰かが申し込むことができる」

と無意識に思ってしまって

 

これは無意識だからすぐには気付けないのですが

このところずっと

自分の無意識を探ることを意識してきたので

ちょっとしたことをきっかけに気づけたのです。

 

それを先生に話したら驚かれていて

私にとっては

犠牲になることは

空気吸うくらい自然なことなので

驚く先生を見て私も驚きました。

 

先生がこんなに驚くということは

犠牲になる、気持ちを押し殺す

というのは

必ずしも必要なことじゃないんだ…?と

私も驚きました。

 

私の "犠牲になる" は

気持ちを押し殺す 以外にも

条件の悪い方を選ぶ

やりたくないことをわざわざやる

ということを

日常で無意識にやっています。

 

誰も求めていないのに

自分が犠牲になることを

幼少期の些細な出来事をきっかけにして

空気を吸うくらい自然なことして

自分の中に設定してしまう。

怖いことだなぁと思いました。

 

  • 子どもに対する言葉かけ
  • 夫婦の在り方
  • 家族価値

こうゆうことが大切だと言われることや

性格形成は幼少期に行われるという

アドラー心理学の理論と重なります。

 

我が娘も

私がそうであったように

母親の何気ない一瞬の表情から

何かを判断して

一生使う信念(性格)として使っていくようになることを

常に意識しておきたいです。

 

私が子どもだったら

なんでもできるお母さんより

機嫌のいいお母さんのほうがいいので

今日も1日機嫌よくいられるように

コーヒーでも淹れて

おいしいおやつを食べて

リラックスして過ごしたいと思います。