「先生に嘘ついちゃった」
娘から
「お母さん、謝りたいことがあるの。
今日学校で先生に嘘ついちゃったんだ。
体育で走るのが嫌でさ。
先生に
『ママが足痛かったら見学していいって言ってたから見学します』
って言ったの。
そしたら先生が見学していいって言ったから
見学したんだ。
お母さんが言ったって嘘ついちゃってごめんね」
と言われました。
そのときわたしがやってみたことを書いています。
私「足、痛かったの?」
娘「登校中に足が痛くなったの」
私「そうなんだ」
娘「もし家庭訪問で先生に聞かれたら、うちの子足痛かったんですって話合わせておいて!お願い!」
なんで嘘ついたの?と娘を責めたり
問い詰めたりしなかったのは
もし自分がこの場面で責められたり
問い詰められたりしたら
母親に二度と本心を語るまいと
心を閉ざすだろうと思ったからですが
先生に嘘をつくというのは引っかかりました。
正直に私に言ってくれたのは嬉しいことだし
仮病を使うのは誰しもあることですが
「ママが」
と言えば嫌なことをやらずに済む
という今回のやり方を
また別の場面で使うかもしれない
体育じゃなくても、学校じゃなくても
苦手なことや困ったことに遭遇したとき
権威のある人の存在を使って
問題を避けようとするかもしれない
そんな風に思って
不安になってしまいました。
子育てをしていると、不安になったり
これでいいのかな?と引っかかることが
山のようにあります。
こうゆうときは
今このことが不安なんだね、
と誰かにわかってもらえることが
わたしはいちばん元気になれます。
「人はみんな自分をわかってほしいんだ」って
優子先生も言ってた。
不安や怒りなど
マイナスの感情が伴っているときは
なおさらです。
今日娘に
先生に嘘をついて体育見学することをやってみて
どんな感じがしたかをたずねてみます。
絶対に否定されないという安心感の中で
優しく傾聴してみます。
↓下に続く
嘘をついてしまった娘の気持ち
娘が体育で走るのが嫌で
先生に嘘をついて見学したことを
わたしに謝ってきた
という出来事があり
娘と話し合ったことを書いています。
私「お話あるんだけどいーい?」
娘「なーにー?」
私「こないださ、
先生に嘘をついて体育見学したって
教えてくれたじゃない?
そのときどんな感じがした?」
娘「体育が始まったら、
あぁ嘘ついちゃった…って思った」
(申し訳なさそうな表情。はじめて見ました)
私「嘘ついちゃった…って思ったんだね。
その時どんな気持ちだったの?」
娘「お母さんには嘘ついちゃったって
本当のこと言えたからいいけどさ、
先生には嘘ついたままでしょ。
だから先生に悪いなぁって」
私「先生に悪いなぁって思ってるんだね」
娘「うん…」
私「また体育あると思うけど、
これからどうしていきたいと思う?」
娘「足が痛くならなければ体育やる。
痛くなったら
足が痛いので体育見学したいですって
本当のことを言う!」
私「そっかぁ!本当のこと言うっていいね」
小2でも嘘をついて先生に悪いと思っていること、
それを言葉にできることに驚きました。
わたしは子どもを見くびっていたなぁと思いました。
コンビニではじめてのお会計
娘から
「今日ね、お友達と自転車で
コンビニ行く約束したんだけど行っていい?
コンビニでお菓子買って
みんなで公園で食べるの。
でもわたしは自分でお金払ったことないんだ
って言ったらね
買うときに友達が一緒に居てくれるって。
3時に迎えに来るの」
と言われて
わたしがやってみたこと。
そういえば
お金の使い方をちゃんと教えたことなかったなぁ
と思いました。
今までに何度か
「お会計自分でやってみる?」
と聞いたことはあったけど
恥ずかしいと言ってやりたがらなかった。
無理にやらせると
お会計が1人でできたという経験より
無理にやらされた記憶しか残らないと思って
なんでもできるようになってほしい
というわたしのエゴを
押し付けることのないようにと
できるだけ気をつけていました。
お友達の影響で
お会計する機会に自然に恵まれる、
こうゆう覚え方っていいなと思いました。
3時ちょうどに
自転車に乗った近所の子が2人
うちにきてくれました。
わたしが小学生の頃は100円持って
苗字がお店の名前になっている
駄菓子屋さんに行く程度だったので
今は低学年で行き先がコンビニなんだと
ちょっとびっくりしましたが
今は駄菓子屋さんなんてないもんな
と思いました。
次女(4歳)も行きたいというので
わたしもついて行きました。
自転車をスイスイこいで行く小学生3人を
補助輪付きの自転車で必死に追いかける次女
を必死に走って追いかける私。
コンビニに到着し
お菓子売り場で
楽しそうにおやつを選ぶ子供たち。
1人の子は飲み物とお菓子を選んで
「トイレ行きたいんで
コレちょっと持っててもらえますか?」
とわたしに荷物を預けてトイレを済ませ
慣れた感じでレジに並び
言われた金額を見てお金を出し
買ったものをバックの中にしまう。
見ていてとても安定感がありました。
比べるわけではないけど
130円のラムネを買うのに
どの硬貨を使うのか戸惑う我が娘。
「僕お財布ないんで
僕にアイス買ってもらえませんか?」
と言うかわいい男の子。
同じ歳なのにこんなに違うものかとびっくり。
子どもってすごいな、かわいいなと思いました。
「お母さん、学校行きたくない」
娘に「学校に行きたくない」と言われて
私がやってみたこと。
学校に行きたくない日は
朝起きると
しくしくしながら「頭が痛い…」と言います。
頭が痛いから行けないのではなくて
行きたくないから頭が痛くなっているとしたら
行きたくない本当の理由は何かな?
と思いました。
娘「お母さん、学校行きたくない」
私「行きたくないの?」
娘「お休みしたい…」
私「そっか、お休みしたいんだね」
こんな会話をして布団から出て
わたしは洗顔したり着替えたり
普段通りの行動をしました。
娘が不安そうにわたしのところへ来たので
「一緒に着替えようか」
と声をかけました。
お母さんに何を言っても否定されないという
安心感のある優しい雰囲気を意識して
一緒に着替えました。
すると娘が涙目で
「今日、1時間目が体育なの…」
と呟きました。
私「今日は1時間目に体育があるんだね」
娘「ドッジボールが嫌なの」
私「ドッジボールが嫌なの?」
娘「ドッジボールより並びが嫌なの」
私「並びってなに?」
娘「4列とか、言われた列になるように並ぶの。
でも自分がどこに行ったらいいか
わからなくなるんだよ。
先生は優しいけど、
もしできなくて先生が怒ったら
みんなの前で怒られることになるから
恥ずかしい。それが嫌なの」
"できないと、よくないことが起こる"
と思って不安になってるのかな?と
わたしも不安になりました。
娘「前ね、頭痛いとき保健室行ったんだ。
また痛くなったら保健室行こうかな」
私 (にっこり頷く)
この会話の後、娘はいつも通り準備をして
登校しました。
わたしにできることは
お母さんにわかってもらえたという安心感を
たくさん娘に積み重ねてあげることなのかな
と思いました。
子どもが望んでいることも
お母さんに自分の本当の気持ちを
わかってもらうことなんだと思います。
これは学校に行きたくない時だけではなくて
24時間365日いつでもそうなんだ
と思った朝でした。
お迎えの約束
朝、娘から
「お母さん、今日横断歩道まで迎えに来て」
と言われて
わたしがやってみたこと。
「迎えに来てほしい」と
昨日も言われたのですが
家を出ようと玄関を開けたらちょうど帰ってきて
お迎えにならなかったせいか
今朝は
「長い針が3になったら家を出てね」
と時間を教えてくれました。
昨日行けなかった分
今日は忘れないように家を出て
横断歩道に向かいました。
いつも
トップバッターで帰ってくる子が見えたので
娘もそろそろかなぁと待っていると
遠くに私の小指くらい小さく娘の姿が見えました。
私がいるのを見つけた娘は
「おかーさーん!」と全力で走ってきました。
「どうして迎えに来てほしいと思ったの?」
とたずねると
「お母さんに早く会いたいから!
それでぎゅーってして帰りたいの」
と返ってきました。
子どもって少しでも早くお母さんに会いたい
お母さんの顔が見たい
どんなに怒られても
お母さんが大好きなんだと思うと
母親が与える影響の大きさを
感じずにはいられなくなります。
わたしも小学生のころ
娘と全く同じ理由で
母親に迎えに来てほしかったけど
叶ったことがなかったので
娘には叶えてあげたいと思いました。
わたしも、家から100mくらいの曲がり角に
迎えにきてほしくて
当時、何度も母にお願いしていました。
「うん、行くよ。だから学校休まないで行きな」
と母は毎回そう言いました。
わたしは学校に行きたくなくて
でも母が曲がり角まで迎えに来てくれるのなら
それを楽しみに
一日学校を頑張ろうと思っていたのです。
結局
一度も迎えに出てきてもらえたことは
なかったのですが
わたしは
「今日こそは迎えにきてくれる」
と毎回信じていました。
曲がり角が見えて母がいないことがわかると
もしかして今家を出たばかりかも知れない
母は足が悪いから早く歩けないんだ
だからもうすぐ姿が見えるかも知れない
と思って
心の中で母の歩くペースに合わせるように
ゆっくりゆっくり歩いたものです。
家に着くと
母は迎えに出る様子もなく家にいるのでした。
それでもわたしは
次の日も、そのまた次の日も、母に
「今日曲がり角まで迎えに来てくれる?」
とお願いし
母は
「うん、行くよ。だから学校行きな」
という約束を
何度も何度も交わしました。
「うん、行くよ」
母に言われた叶ったことのない言葉を
42歳になった今でも覚えているように
娘も、わたしとの何気ないやりとりを
一生の記憶として残していくのだとしたら
約束を守ってもらえなかった寂しさより
お母さんの姿が見えた時のうれしさを
記憶に残してあげたいです。